茨城県の琺瑯街区表示板


目次

日立市…桜川町、多賀町、鮎川町、国分町、旭町、宮田町、幸町


日立市桜川町

藤色がきれいな街区表示板です。諏訪交差点の異形矢印を撮影するときにたまたま見つけました。桜川町は第一期(’62-’66年)に住居表示実施されてできた地名だそうです。

参考文献…「日立市の歴史点描」http://saki-archives.com/modern/jukyohyoji.html

日立市多賀町

たぶん自分の探し方が甘いだけなのですが、住居表示実施年が書かれた資料を見つけることができず、多賀町、そして次に紹介する鮎川町がいつ設置された地名なのかわかりませんでした。この多賀町の街区表示板は、多分落ちてしまったのでしょう、横に置かれて放置されていました。行き止まりの道に間違って入ってしまいましたが、こんな発見ができるなんて思いませんでした。

日立市鮎川町

画像1枚目の3丁目のものは常磐線の鮎川駅前踏切(現在は廃止)の近くで発見しました。鮎川駅はかつて走っていた日立電鉄の駅名です。今も走っていたらいいのに、そんなことを思いながらかつての鮎川駅前を散策していました。2枚目、3枚目の1丁目のは多賀高生がよく使っている裏道にありました。

日立市国分町

国分町1-1は全域が日立製作所国分工場です。写真の街区表示板は、木製電柱に取り付けられていて、あまりにも昭和のまんま残っていて驚きましたが、グーグルマップを見てみると、何年にもわたりずっと草木に隠れていたようでした。電柱も街区表示板も状態がいいので、ずっと残してほしいですね。木製電柱との写真を2枚目に示しましたが,画質がガビガビすぎますねw

日立市旭町

外周部が欠損し,残留部も著しく錆に侵され劣化しています.それもそのはず,すぐ真後ろに太平洋が広がっています!いくら琺瑯とはいえ,半世紀にわたる飛来塩分には耐えきれずこのような状況になってしまったのでしょう.しかしながら,半世紀にわたり海の影響を受けていたのにもかかわらずかろうじて文字が読める点は非常に優れた技術なのではないでしょうか.他の素材であれば完全に文字が読めないか看板ごと消失していたかもしれません.

この看板は元の固定部分が欠落しているため,電信柱にワイヤーで巻き付けられていました.ここまでの状態になりながらも守り抜く地域の人々には頭が上がりません

日立市宮田町

日立市役所にも近く、神峰レジャーランドもあります。仲町小学校の近くにありました。「丁目」の文字だけ消えているのは、琺瑯加工の上に印字したからなのでしょうか。旭町のものも丁目が消えており、「○○町・n(丁目)」という中黒がある書き方からも、旭町と宮田町は同時期の住居表示実施で、国分町や鮎川町とは数年違うかもしれません。

日立市幸町

日立駅やヒタチエ(旧イトーヨーカドー)、日立製作所日立事業所など、市の中心的な場所です。恐らく日立市最初の住居表示実施はここだったのではないでしょうか。やっぱりここも丁目だけが消えていて、町名と丁目の間に中黒があります。