渡里村道路元標

 東茨城郡渡里村は1889年から1955年まで存在した村で、現在の水戸市です。1889年までは渡里、堀、田野の3村だったそうで、現在もこの3つの地名は残っています。

 道路元標は画像のように横倒しになって放置されていました。私有地内に横たわっているこの姿は「いけず石」そのもので、ずっとそうだと信じて疑いませんでした。ここの道は1年くらい通っていましたが、この石には何か埋まっていたような跡があるな、としか思いませんでした。しかし、雨の日にここを通りかかった時、石の苔むした側に何か書かれているように見え、しゃがんで見てみました。そしたらまさかの「渡里村道路元標」と刻まれていました。引っこ抜かれた挙句、いけず石のような扱いを受けているのは衝撃的でしたが、調べてみればほかの道路元標はアスファルトに埋められたり、植栽で完璧に隠れていることもあるようで、大正時代の道路構造物も今ではそんなものなのか…と思いました。全体を見られるのはまだマシなのかもしれません。いや、野良の道路元標(←言い方)で本来は埋まってる部分まで含めて全体を見られるのってこれだけなのでは…??

 道路元標はその村の中心地に置かれるのですが、渡里村の中心地が渡里ではなく堀だったことに驚きました。この付近には、堀町内なのに「渡里」と名のつく公共施設が2つあり、何故だろうと気になっていましたが、そういう事かぁ…となりました。いまでは道路元標の面する道路は県道113号ではなく水戸市道に、そして茨城交通茨城線という鉄道もとっくの昔に無くなってしまい、時代の流れは残酷です。

 地主さんがその価値に気がついて、後世に遺して下されば嬉しいですね。

【追記(2022-6-10)】

 

 移設されていることを確認。同一敷地内の移動でしたが、刻字面が下向きにされ、渡里村道路元標とわからない状態になっていました。何年も同じ場所に横向きであったという道路元標をなぜ今頃移動なんてしたのでしょうか…?持ったことがないのでわかりませんが、相当な重さがあるのではないでしょうか。


所在地…水戸市堀町(渡里市民センター近くの私有地)

撮影日…2022年4月15日、2022年6月10日

執筆日…2022年4月28日、2022年6月10日