平成の合併と街区表示板

平成の大合併により消えた自治体の痕跡を街区表示板(と地番表示板)から発掘したいと思います。そこまで掲載する数は多くないので、このページのみでまとめさせていただきます。平成時代の幕開けから2010年までに合併したものを紹介します。


東京都

東京で、平成の大合併で消えた自治体は「保谷市」と「田無市」だけでした。

保谷市で当時の街区表示板を見つけたので紹介します。

保谷市(2001年消滅)

 2001年に田無市と合併して、西東京市になりました。いずれもリバブル(と前身企業)の広告の入った街区表示板です。基本的、保谷市から西東京市になった際地名の変更はありませんでしたが、ひばりが丘団地がひばりが丘に編入、保谷市と田無市に両方存在した本町がそれぞれ保谷町、田無町となりました。写真はいずれも本町で、現在の保谷町です。


埼玉県

平成の合併で唯一、県庁所在地の自治体が消えた埼玉県。大宮市の痕跡を発見できたので紹介します。

大宮市(2001年消滅)

 正式には地番表示板です。大宮市、浦和市、与野市は2001年に合併し、さいたま市に。政令指定都市移行と岩槻市の編入で現在の形になりました。写真の宮原町は現在のさいたま市北区です。Wikipediaによると、宮原町1,3丁目は1961年、2丁目は1968年、4丁目は1972年の成立だそうで、写真のものは72年成立の四丁目です。


茨城県

茨城でも数多くの自治体が合併をしました。

下館という有名な市さえも消えました。

猿島郡三和町、東茨城郡友部町、新治郡千代田町を紹介します。

猿島郡三和町(2005年消滅)

 三和町は古河市、総和町と合併し、いまの古河市になりました。正式には街区表示板ではなく、似た体裁の小字表示板と思われます。大字諸川(字諸川西部、字諸川下町)と大字仁連(字仁連上町二、字仁連上町三)を掲載しています。

東茨城郡友部町(2006年消滅)

 友部町は合併特例法の期限後に施行された合併新法をもとに合併したと思われます。友部町は笠間市、岩瀬町と合併して新制の笠間市になりました。写真の「友部町 駅前」は「笠間市 友部駅前」と地名も変わりましたが、街区表示板は何の修正もされずに残っていました。ちなみに住居表示版(各世帯についている番地と号のかかれたもの)に付属する地名の板には現町名の友部駅前が書かれていました。また、駅前以外の八雲などの住居表示実施地域は「笠間市」のシールが上張りされていました。現在、笠間市域で住居表示実施済みなのは旧友部町の友部駅南部の市街地(駅前、八雲など。1984年)のみだそうです。

新治郡千代田町(2005年消滅)

 千代田町は1992年の町制施行から、2005年に霞ケ浦町と合併してかすみがうら市になるまでのたった13年間しか存在しなかった自治体でした。見つけた街区表示板も、千代田町より千代田村のほうが多かったです。かすみがうら市公式サイトによると、旧千代田町の「稲吉」「東稲吉」「稲吉南」のみ1990年から1993年にかけて住居表示実施をしたようです。

おまけ:新治郡千代田村(1992年消滅)

 おまけです。千代田村は千代田町の前身です。村だった頃に住居表示実施をしていたなんて驚きですし、何より2回も自治体が変わったのに残っていることに驚きです。ちなみに「千代田村稲吉」という地名は1990年から92年までのたった2年間しか使用されなかった地名です。村が住居表示実施をしていたことを示す「証人」で、しかも2年しか使われなかったなんて、博物館レベルなのでは!?←←