異形矢印密集地域・ひろしまにし区
瀬戸内海に面する草津港はカキ養殖発祥の地とされ、牡蠣小屋もあります。それに背を向けると、草津港や商工センターの埋め立てに使われた土砂の搬出元・鈴が峰の山がそびえます。鈴が峰の中腹には山にへばりつくように団地が立ち並び、団地の最上階よりも高い場所にバス停があるような、高低差がとんでもない場所に人が住んでいます。眺望は最高でした。草津港にも鈴が峰にも異形矢印があり、レンタサイクルでぜぇぜぇ言いながら巡ってきました。
撮影日:2024-12-31
横川駅北口から近い場所にあります。
単純な形ながら、何とも言えぬ良さ。すきです。
さて、ここ(横川駅の南あたり)からシェアサイクルを使って広島市の西側を巡ります。
ルートとしては己斐(⑦~⑬)→西広島バイパス沿い(⑭~㉑)→佐伯区五日市→商工センター・庚午(㉒~㊴)→観音(㊵~㊺)・舟入・吉島(中区)と経由し、平和記念公園で返却でした。9:30から16:30まで、48km漕ぎました。ぜひ参考にしてください。
なんか虫みたいで背中がゾワゾワします
ここから五日市(佐伯区)にかけては西広島バイパス沿いに異形矢印があり、標高差が随分と激しくなります。電動自転車でもけっこうきつかったです。
4つの本標識と1つの予告標識があります。予告標識には白い×印がありますが、非常に珍しい表記です。全国的に見ても異形矢印に×印が描かれたものは少なく、広島県ではここしか見つかっていません。
高低差がとんでもない団地である鈴が峰団地のなかにあります。この団地は、あとに行く商工センターと切っても切れない関係があります。
直進しかできないことを伝える異形矢印、いいですね。
この異形矢印がある道路、いまではすっかり陸地ですが、商工センター一帯の埋め立てができるまでは防波堤だった場所のようです。井口は1丁目から5丁目までありますが、5丁目だけ海側に突き出しているのはかつての陸地の名残。井口明神や商工センターは海を埋め立てた場所です。古い地図を見てみると新たな発見があって面白いです。歴史を知ってみると、異形矢印がまるで「そっちは海だからいけないよ!」といっているように見えてきませんか?
1966年から82年まで、不足した工業用地の確保を目的に行われた海面の埋め立て。それによって完成したのが現在の商工センター一帯です。こんな広大な土地を埋める土砂はどこから持ってきたのかというと、現在の鈴が峰住宅です。山側の団地の造成と海面の埋め立てを同時に行い、現在の井口および草津の街並みが作られました。
鈴が峰住宅には異形矢印は1つしか見つかりませんでしたが、商工センターには複数発見できました。
広島市内では嘗て、写真のような内照式標識や可変標識が多数使われていましたが、いまではだいぶ数を減らしています。お金がかかる上に、老朽化には勝てません。
2つの交差点ですが、同じ交差点といっても過言ではない形状なのでまとめて紹介します。こちらが1丁目1番交差点側。
こちらが2丁目17番交差点側。この2つの交差点にある標識はすべて内照式標識でしたが、2つが撤去されてしまい、いまでは1丁目1番交差点側に1つのみとなってしまいました。
商工センターにあるこの形の異形矢印、なぜかみんな線が太いんですよね。不思議。
ここでシェアサイクルの電池が切れ、電動自転車はただのクッッソ重ママチャリに化けました。近くに返却ポートは泣く、近くても庚午のフジでした。そもそも巡ってきた井口や五日市はシェアサイクルのサービス範囲外なのでポートが無くて、30kmぶっ通しで漕いできたんですよね。そりゃぁ電池切れますよね。
草津沼田道路という群馬みたいな地名が並んだ道の下にある道路です。
ここずっと撮影したかったところ!枝毛の生え方がいいですよね!……ね、みなさん!!(唐突の語り掛け)
にしても、この旅行の初日に、ハンドクリームがデジカメのレンズについてしまう謎やらかしをして、一応拭いたんですけれど…曇ってますよね。
撮影しているときレンズ曇っているの気づけ…さっきから残念写真大会になっているぞ
この先は庚午方面へ向かい、シェアサイクルのポートへ到着。今乗っている電池切れを返却し、昼はとっくに過ぎているけれど昼ご飯。ローカルなスーパーマーケットに入ることが好きなのでウッキウキでフジに入店し、ガーリックライスを購入。イートインで広島市民の気持ちになって食べてました(?)
結局1時間弱の休憩をはさみ、再びシェアサイクルを借りて出発しました。
逆光3兄弟(時間帯のせい)
比較的まっすぐな空港通りが何かの力によって、この観音小学校前交差点で曲げられています。それをいいことに異形矢印が5つも群がっています。最高です。
ところで、なんでいきなり空港通りが曲がっているのか、気になりますよね。これも古い地図を見れば理由はすぐわかります。昭和25年の地形図を見てみると、まだ太田川放水路はなく、その代わり「福島川」というものがあります。当時、空港通りはありませんが、そのもととなる道路は存在しており、南から伸びてきた道路は福島川とぶつかる場所からは川に平行して道路が引かれています。その川とぶつかっていた場所こそが、今いる観音小学校前交差点です。
1967年にかけて太田川放水路が作られ、その開削で発生した土砂は福島川の埋め立てに使われ、現在の街並みが完成しました。ここの少し北にある都町は、全域が福島川を埋め立ててできた土地です。
ちなみに空港通りという名称は、観音に初代・広島空港が存在した名残です。
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