白看板
白看板とは?
……昭和46年(1971年)に廃止された白をベースとした青文字の道路標識のことです。廃止から約半世紀が経ち、劣化などを理由に現存するものはごく僅か。残っているものも風化が著しいものが多く、見にくくなっています。ちなみに白看板はマニア間で「白看」とよく呼ばれています。○kmではなく,kが大文字の○Kmが白看ではよく用いられます。
(なぜか平成時代以降にも、元々あった白看を新設の際に真似た為に、新品の白看が復活したケースもあります。そちらはオマケとして「擬製」と名付けて紹介します。)
目次…関東の白看板(①~⑮)
四国の白看板(⑯)
関東地方の白看板
①東京都新宿区(目白通り)
[3Km 練馬NERIMA →]
全体的に黒くくすんでいる為、何度か通ったことある道なのに気付いたのはつい最近。白看のすぐ手前にピカピカの高速道路案内の看板があるのもあり、運転者からは気付きにくくなっている。撤去されていないのはそれも理由なのかな?
「練馬」の英語表記は見慣れないので新鮮。現在の青看には「練馬」ではなく区役所のある「豊玉」が採用されているため、都道上に現存してかつマスキングされていない「練馬」の表記はここだけではないのか…?と思たら、千川通りと目白通りの交差点手前の青看にもありました。
初撮影:2020/09/26
再撮影:2023/03/04
編集:2023/03/04
②東京都羽村市(奥多摩街道)
[羽村町 HAMURA T.](製造:野原産業KK)
青色はほとんど剥げてしまっている。「羽村町」は平成3年(1991年)に市制施行し「羽村市」に。ちなみに白看自体は昭和39年(1964年)に作られたもので撮影時点で実に56年もの月日が経っていた。平成27年に白看スグ真横のガードレールなどを新しくする工事が行われたがなぜか残った。標識の裏には東京都の物だと示すいわゆる「銀杏マーク」があり、現在も東京都がしっかり管理していることがわかる。(銀杏に似た都のシンボルマークは1989年制定)
撮影:2020/03/26
編集:2020/09/29
③東京都武蔵村山市(中砂新道)
[31Km 新宿SHINJUKU → ]
[ ← 青梅 Ō M E 14Km]
※2024年現在、撤去済み
付近にはかつて白看が沢山残存していたが、今となっては武蔵村山市に残る白看は青梅街道大曲り手前にあるこちらのみ。老朽化もだいぶ進んでいるため、こちらも近いうちに撤去されるかもしれない。
新宿方面の赤い矢印、「1」みたいなものが書いてあるけどなんだろう?とおもったら、右矢印を上矢印に修正した跡のよう。劣化して元の矢印が見えているだけのようで。青梅方面の英字表記は「O」に「-」が付いていて時代を感じる。
撮影:2020/09/30
編集:2020/09/30
④群馬県邑楽郡大泉町(ハナミズキ通り)
[15Km 熊谷KUMAGAYA →]
歩道橋に付けられている。錆びて、赤い矢印も色褪せてしまっているが、まだまだ現役らしい。熊谷の手前に妻沼という有名な都市が当時にはあったはずだが、熊谷が優先されたのはちょっと謎(現在、妻沼聖天山のある妻沼町は熊谷市に編入されていますが。。)。
撮影:2019/10/01
最終現存確認:2020/02/06
編集:2020/09/30
【擬製】東京都狛江市(世田谷通り)
[2Km 登戸NOBORITO → ]
[ ← 渋谷 SIBUYA 12Km]
キミ、復活してはならぬ存在のはずだが……。何故か平成時代に生まれてしまった白看。本物じゃないので価値は下がりますが、白看が使われていた時代にはこんな感じに綺麗な白だったんだろうなぁと思いました。白看特有のKが大文字のKmも踏襲されています.
撮影:2019/12/21
編集:2020/10/01
【擬製】神奈川県川崎市川崎区(大師出口)
[ ← /東京湾アクアライン TOKYO WAN AQUA-LINE EXPWY/5km]
[ ↑ / 産業道路 Sangyodoro / ]
[1.5km/ 川崎大師 Kawasakidaisi / → ]
[4.3km/ 川崎駅 Kawasaki Sta. / → ]
川崎にも擬製白看が。白看らしい形をしておきながら白看らしくないです。一点目「東京湾アクアライン」が当時あるとしても、緑の縁どりでは恐らくないでしょう。あと公団ゴシック。二点目、英字がアクアラインの案内以外小文字が使われていますね。だいたいの白看は全て大文字のはずです(その点では狛江の擬製白看は完成度が高い)。三点目、これも英字についてですが、「産業道路」を例に取ると、発音は「さんぎょーどーろ」なので、本来の白看には「O」の上に「-」がついて「Ō」になるはずですがなっていません。また,Kmではなく現代では一般的なkmになっています.
高速道路の下で暗いので、あえて白看風にして見やすくしたのだと思いますが、これが現代版白看なのか…と思いながら撮影しました。
撮影:2020/03/21
編集:2020/10/02
⑤埼玉県戸田市(中仙道)
[戸田市 TODA C.]
市境ではなく戸田市のド真ん中にある変わった物件。標識の裏には何も書いておらず白看かはよく分からないが、中仙道にはいくつか白看を確認しているのでこれもそのひとつだと信じたい。
2020/12/12撮影
2020/12/13編集
⑥茨城県ひたちなか市(勝田市)(ひたちなか市道A112号)
[↑ 水戸下市 M I T O 7Km]
[2.3Km 国道6号 ROUTE 6 →]
[← 那珂湊 NAKAMINATO 9.5Km]
旧勝田市の表町にある白看です。状態は非常に悪いですが、まだまだ現役です。水戸下市の英訳はMITOですが、下市とは50年程前まで使われていた通称地名で、常磐線水戸駅より南の水戸市街の事だそうです。対して上市は水戸駅から茨大にかけての高台に発達していた商業及び居住地域のことだそう。国道6号は半世紀前の昔も今も変わらず2.3km程。那珂湊は、勝田市と合併してひたちなか市になっています。
撮影:2021/4/18
最終編集:2022/11/18
⑦⑧埼玉県川越市(県道川越日高線)
[川 越 市]
[KAWAGOE C.]
[久 保 町]
[KUBOMACHI]
川越市の中心市街を東西に貫く県道川越日高線、久保町歩道橋に取り付けられています。2つ残っており、令和の今となっては貴重な存在なのではないでしょうか。一見同じものに見えますが、「保」の字の人偏の位置が微妙に異なっているように見えます。
撮影:2022-2-26
掲載:2022-2-28
⑨⑩茨城県筑西市(下館市)(国道50号旧道)
[鬼 怒 川] [ 川 島 橋 ]
[KINU RIVER] [KAWASHIMA BR.]
筑西市の旧下館市域、下川島にこの看板があります。てっきり1枚かと思っていましたが、よく見たら別の板でした。前橋から水戸を結ぶ国道50号線は有名な鬼怒川を渡ります。鬼怒川にかかる橋は川島橋と新川島橋の2つがあり、白看板があるのは川島橋のほうです。この橋は、国道の橋であるのにも関わらず幅員が小さいため水戸方向への一方通行となっています。歩行者と自転車は付属橋を渡って逆走でき、私は水戸から東京まで自転車で行ったときに使いました。鬼の字体がお気に入りです。川島橋の写真はTwitterに掲載しています。
(2022-11-18追記)
バイパスの新川島橋4車線化の完成と同時に川島橋の2023年の廃止が決定しました。
撮影:2022-2-12
掲載:2022-2-28
⑪神奈川県横浜市神奈川区(子安出口)
[←/国道1号(㐧二京浜)/0.8km]
新子安駅から第一京浜を横浜方面に進むと子安通2丁目という交差点があります。そこを左折(南下)すると頭上の高速道路の桁に白看板がついているのが見えます。高速の桁が傘の役目になっているからか、赤が褪色していらず、文字も剥げていない非常に状態の良いまま残っています。だいぶ高い場所にあるので、停車しなければ文字は読みにくいうえ、背景と同化しているので猶更見つけにくいです。「第」が略字なのがグットポイントです。あれ,Kmではなくてkmなんですね.
⑫神奈川県相模原市緑区(津久井郡城山町)(城山交番前)
[相模湖 SAGAMIKO 15Km]
[津久井 T S U K U I 5Km]
※2024年現在、撤去済み
相模湖も津久井も城山も、今は全部相模原市緑区です。この看板に従って相模湖まで行きましたが、やっぱり相模原市緑区デカすぎだよ、、どんなに走っても相模原市緑区って怖いよ。なんて思いながら走っていました。城山と津久井の中心部は栄えていて、コンビニもマックもダイエーもありましたが、ダイエーを過ぎると旧相模湖町中心部までは三ケ木(ミカゲ)というバスターミナルのある地区以外はのどかな光景で、起伏にとんだ地形でした。あと、相模湖地区の嵐山から見る相模湖市街の美しいこと!是非皆さんにも見ていただきたいです。
あ、これって白看板の記事でしたね。この白看板は、城山地区の原宿5丁目に架かる久保沢第一歩道橋に取り付けられています。歩道橋には地名が書かれていますが「相模原市緑区川尻地内」とあり、どこやねん状態です。この辺りは城山町時代に住居表示実施済みで、今の緑区川尻ではない場所に設置されています。矢印の赤色は褪色しているものの、そこまで悪い状態ではないかなという印象です。
⑬栃木県芳賀郡益子町(旧国道123号線)
[水戸 M I T O 44Km]
[笠間 KASAMA 20Km]
水戸からここまで自転車で来ました.今の距離がどうなっているかはわかりませんが,茂木経由だったのでここに書かれた距離よりもしかしたら遠いかもしれません.笠間と書かれていることから推察するに,この白看は国道123号の案内ではなく,県道1号線経由の案内と思われます.この旅の帰りに笠間経由で帰りましたが,県境の仏ノ山峠は栃木側から登ると,何キロも緩やかな上り坂が続く片峠だったので,ママチャリの自分にはきつかったです.
撮影:2023-3-22
掲載:2023-7-10
⑭栃木県佐野市(佐野小学校前)
[ ]
[19km 古河 KOGA →]
厄除け大師のある通りの東端にあたる部分には,佐野市が設置した白看があります.世にも珍しい1段丸ごと空白のものとなっています.特に昔に何かを書いた痕跡もないので,元からこの状態で設置されたのでしょう.別に右折は2段目とかいうルールもないですし,何をやりたかったのか本当に不思議なものです.目の前の佐野小学校には,明治時代の佐野尋常/高等小学校と書かれた校門が残っており,まるで時が止まったかのような一角でした.こちらはkmのkが小文字でした.
撮影:2023-7-04
掲載:2023-7-10
⑮栃木県那須塩原市(旧:黒磯市)(西通り)
[ ↑ 板室 ITAMURO 18Km]
[27Km 白河 SHIRAKAWA → ]
[ ← 矢板 Y A I T A 24Km]
古い町並みの残る黒磯の中心地にこの白看板が残っています.令和元年に点検が実施されたようで,柱には安全を証明するシールが貼付されていました.もうしばらくは安泰でしょう.正面で交差する道路は旧国道4号線です.ちなみに板室は那須塩原市の温泉街です.
撮影:2023-7-15
掲載:2023-7-16
⑯茨城県土浦市(旧:新治郡新治村)(広域営農団地農道八郷線|愛称:フルーツライン)
[ 八 郷 町 ]
[ YASATO T ]
走り屋の聖地ともいわれるフルーツラインの朝日峠にあります。破壊された中心鋲やドリフト痕がありました。ママチャリで峠越えをしました。もちろんこの白看板の撮影のためだけに。朝日峠の区間は旧道となっており、朝日トンネルが峠の真下を貫いています。
フルーツラインは、県下初の広域農道で、昭和45年から55年にかけて建設され、笠間市から道祖神(どうろくしん)峠と朝日峠を越え、土浦まで至る道路です。白看板の廃止は昭和46年ですが、それまでに開通した区間なのか、それとも46年以降に旧フォーマットを流用した「白看板風」の擬製なのか、判別はできませんでした。
撮影:2024-12-03
掲載:2024-12-15
四国地方の白看板
⑰愛媛県八幡浜市(国道197号旧道)
[1Km 八幡浜港 YAWATAHAMA HBR. → ]
[ ← 大 洲 Ō ZU 21Km]
新町銀座に佇む白看板。アーケードに守られていることもあり、赤色は色あせずに残っています。八幡浜を適当に歩いていたら偶然発見。関東の外では初めての白看板撮影でした。いまはアーケードになっている新町商店街の細い道路が、車が通ることができないものの、大洲市(当時:現在は高知市起点)から八幡浜や佐多岬を通って大分までを結ぶ国道197号の旧道。白看板があるということはそこそこ交通量があったはずですが、そんなことは全く想像できません。バイパスの愛宕山トンネルは1976年開通なので、おそらくそのころまでは狭い商店街が国道だったのでしょう。
調べてみるとやはり1976年までは幅4mの一方通行区間を有する道路だったとのこと。197号という路線名にかけてイクナ国道と呼ばれたとか。
参考)愛媛県生涯学習センター、https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/34/view/4886
撮影:2024-9-10
掲載:2024-9-19
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